渡渉


  1. 子供の頃

     昔、現在のように、上流に大きなダムを幾つも持たない高瀬川は、梅雨時や台風など大雨が降ると、普段はほとんど流れのない高瀬川も、500mもの川幅いっぱいに濁流が流れ、様相が一変する。巨大な岩石が、ゴロゴロと音を立てて流れていた。この濁流が、上流から多量の流木を運んでくる。
     多くの家庭が、炊事、風呂の燃料に川の流木を薪として用いていた。「かわぎ」と呼んでいた高瀬川の流木は貴重な燃料であった。濁流が多量の流木を運んでくる。雨がやみ、流量が減少するにつれ、小高い中州みたいなところに流木が残る。堤防の上には、「かわぎ」を拾おうと待ち構える人があふれていた。先を争い、誰よりも早く流木の引っ掛かっている中州に渡りたい。多少の危険を冒してまで、無理をしても渡渉し、中州の流木を自分のものにしたい。年に数回の大水が、年間の燃料をまかなうからである。
     まだ子供であったが、流木拾いは重要な仕事であった。渡渉を繰り返すうちに、渡れるか、渡れないかの判断、渡渉の術が自然についてきた。急流の渡り方、水の勢いの恐ろしさ、転倒しないための足の運び、杖の使い方、どこまでの深さならわたれるかの判断、流されたときの岸への戻り方。子供たちの中でも技術や経験が交換されていた。親は危ないことを承知しながらも、拾って来いである。先に中州に渡りたい一心で、まだかなりの濁流であるのに、わらじをはき、荒縄を腰につけ、泳いでわたったこともあれば、転倒し流されたこともある。中州で増水し戻れず、対岸へわたり、遠回りして何時間もかけて帰ってきたこともある。大人でさえ二の足を踏んでいた。危険な濁流であったように記憶しているが、本当はたいしたことはなかったかもしれない。今、日常に徒渉はない。砂利道や河原は、裸足ではいたくて走れないどころか歩けない。
    渡渉が上手になるには、渡渉することである。難しさを感じ、どこまで渡れるか、どこをどのように渡ればよいかいろいろ経験して学び、判断力を高めることである。
  2. 流れを読む

     流れの速さ、水の勢い、川床の様子、水の深さを読み、渡渉点を決める。出来る限り川幅が広く、流れが緩やかな浅いところがよい。川下に、取り入れ口、深み、滝、激流など、つまり、転倒して流されても危険でないところを選ぶ。
    文章にすればこうなってしまうが、自分にとって、水の勢いや深さや川床の様子から安全に渡れるかどうかを判断するのであるから、渡渉経験がなければ、注意事項をいくら頭に入れていても、判断できない。流れを読むと言うことは、経験を積むことである。考えているより、渡渉は危険である。
  3. 身体の大きさと浮力

     体に受ける水の力は、身体の大きさによってずいぶん違う。大人にとってなんでもない深さでも、子供にとっては深すぎることもある。それは、身体の質量と浮力の関係である。水深が深くなるにつれ渡渉時、浮力が大きくなるが、同じ深さであっても、体の大きさによって、体重に対する浮力の割合が違ってくる。体の大きい大人と小さい子供では、相対的に子供の浮力が大きい。つまり、子供のほうが浮力の割合が大きいので、体が浮いて、流されてしまう。
    10年ほど前、湯股で親子が渡渉中、父親にとって、何でもない深さであったが、子供は、浮いて流され溺死した。男性パーテイに入っていた女性が、小柄であるがゆえに、黒部川の渡渉で流された。
    技術的に渡渉の仕方、足の運びの問題もあるが、基本的には水につかる深さと水流の勢いの問題である。大きい者にとっては、身体の1/3、膝までの水位であっても、小さい者にとっては腰の深さになり、身体の1/2水に入る。渡渉で流されるのは、そのものにとって深すぎ、浮力が大きく、足が利かず、転倒し、転倒した瞬間、浮力が増し流される。それゆえ、転倒したら、水流の極めて弱いところは別にして、なかなか立ち上がれない。
  4. ルックザックは浮き袋

    背負ったルックザックは重しの役割を果たすが、水に浸かれば浮き袋になる。特に、中のものをポリエチレンフィルムの袋にいれてあれば、長時間浮き袋の機能を果たすので、泳ぐときは浮き袋に出来るが、渡渉中は体も浮くことをわすれてはならない。転倒すれば背中のルックザックが浮き袋になって起き上がりにくい。ルックザックをはずせるよう、ウエストベルトなどははずしておく。
  5. 負傷者を連れて渡渉する

    滑りやすく、不安定な川床、背負っての渡渉は、非常に困難である。深く流れが緩やかであればルックザックを浮き袋にしてつかまらせたりして、流れに沿って、引っ張って渡る。遺体であれば、発泡スチロールの断熱マットで包み、浮力をつけ、浮かして運ぶ。別項で述べるが、索道で運ぶ方法もある。
  6. ロープを張って渡る

    転倒して流されそうであれば、ロープを張り、転倒しないための手すりにする。ただし、ロープはかなり張り込んで、緊張させても、揺れるので、手すりとしては不安定で、バランスを崩したとき、ロープをつかんで立て直すことは困難であると考えなければならない。つまり、手すりとしては、あまり頼りにならないのである。むしろ、ロープにセルフアンカーを取り、転倒したとき、ロープをガイドに流されながら岸につくためにロープを張る。

    川の流れにロープを直角に張ると、転倒した者は、ロープに吊り下がった状態になり、立ち上がらない限り、どうにもならない。ことにロープにセルフアンカーとっていれば、溺死することさえある。ロープは、川上から川下へ必ず斜めに、緊張させて、張らなければならない。もし転倒したとき、ロープに沿って対岸に流れ着くためと、手すりとして少しでも役に立つためである。
  7. 先頭と最後に渡る者

    ロープを張るため、先頭の者はロープをつけて川上から川下へ渡る。もちろん確保する。もし転倒したとき、此方の岸に戻ることが出来る。ロープが水に触れると、ロープに大きな水の力が掛かるから、渡渉者はロープに引き倒されてしまう。水の勢いが強いところほど留意しなければならない。確保者、または、補助者は高いところに位置しロープが水に触れないように工夫する。
    最後に渡る者の確保は、確保地点を上流に移動し、上流から確保する。ラストは、同じコースを下流へ斜めに渡渉する。上流から確保しなければならないので、長いロープが必要になる。ロープが足りないときは、ラストの渡渉にあわせて、確保者も下流に移動する。もちろんトップと同様、確保ロープは水に触れないように高く上げる。ラストが流されれば確保者のいる岸に着く。フィクス・ド・ロープをダブルで張り、渡り終えたら、懸垂下降ロープを回収するように、回収する方法もある。
  8. 渡り方と杖

    足がさらわれるのは、深みで浮力が増すことによるが、足の置き所が悪ければ、バランスを崩す。川床の石は、ぐらぐらと動いたり、石の下流側は、流れが渦巻いて、砂を巻き上げていたり、深く掘れているので、注意が要る。川床の石の必ず上流側に摺足で足を置く。杖を使うと一点支持から二点支持歩行になり、バランスの崩れを、杖が支えてくれる。丁度、突風に対応するやり方のように、バランスが崩れるのを両足と杖の三点で支える。杖はセルフアレストである。必ず上流側に突き、杖を安定させて荷重をかけ、次いで、摺り足で進む、足を安定させてから杖を突きなおす。杖も足も、水中から引き抜くと、水流圧がなくなり、水に入れると急激に水流圧が掛かる。水に入れたり、出したりは、水流圧の影響が急激に変化し、バランスを崩しやすい。水中から足も杖も出さないほうがよい。
  9. 体が冷える

    谷の水は冷たく、流水であるから、水が奪う熱量は、膨大である。流水で体表面の血液が冷やされ、全身が冷える。加えて、渓谷は、日光が届きにくく寒い。冷たい海に潜るアザラシは、多くの時間を日光浴に費やし、体を温めるが、日光浴もままならない。
    体を冷やさないように、濡れてもある程度保温力のある、ウール製品の肌着などの衣類を身につけるとよい。靴下さえウールと綿の靴下では、ずいぶん冷たさが違う。水に濡れてもウールは、水分を繊維間に閉じ込めて貯留する。体表面近くの水が静止していれば対流しにくく、繊維間に水が閉じ込められているので、直接、水分が肌に触れず、伝導熱の喪失は少ないから、濡れても暖かいのである。また、ウールの靴下は濡れても、靴擦れを起こしにくいのも利点である。化学繊維の衣類は乾きやすい反面、つまり、肌についた水分が気化しやすく、気化熱による放熱量も大きい。化学繊維が繊維間に水を保水し難いと言うことは、体表面に近い水が入れ替わることであり、水の移動による熱の喪失が大きいことを意味している。濡れても保水していれば、気化や対流による熱の喪失量が減少する。
    裸足で、ズボンを脱いで渡渉し、衣類や靴をぬらさないと言う考え方もあるが、よほど暑いときは別として、実際渡渉してみればわかるが、裸足では、痛くてたまらない。衣類がないと、冷やされすぎる。靴を履き、濡れても衣類をつけたまま渡る。ウールでなくても、冷え方は随分違う。冷えたら、日光浴も、焚き火に当たるもよい。
    遭難で、10月の霙降る中、北葛沢をずぶ濡れになりながら、渡渉し、遡行した。下着、手袋はもちろん、アウターのヤッケ以外すべてウールの衣類をつけた。寒かったが、目的を果たした。同日、立山では13名の登山者が、悪天候の中、濡れて風に晒され遭難した。